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2009年11月23日

文化から食と花を見る必要性

日本のように周りが海で囲まれて、あたかも自然発生的に生まれてきた国をネーションという言い方をしていて、ドイツやアメリカのように連邦国家で成り立っている国をステイツと呼んでいる。ステイツが世界では圧倒的に多くて、ネーションはそんなに多くない。世界が一つになって、人類はみな兄弟なのだが、日本のようなネーションは頭の切り替えと対応が素早く行かず、ステイツから見ると、何をそんなにもたもたしているのだと思われたり、動きがのろいので傲慢に映ったりすることもあるらしい。文化という切り口で見ると、人目を気にするだとか人からこう思われたいというところまで含めて、文化と大衆文化であるサブカルチャーを物差しに日本人は毎日生活している。

食は栄養補給、身体のメンテナンスという物理的な機能面から、もちろん旨さもあって、ファーストフードや牛丼店などが繁盛しているが、文化を感じさせる食卓を週に何回かしないと、それは例え肉じゃがであっても、ダシをしっかりとった味噌汁でも、日本人は心が寂しいと感じてしまう。一生に一度しかない人生のこの一時を、食文化で心と身体を充足させ、幸せと明日の活力をもらう。だから、小さな差異が生産者の心配りや流通業者の畑のままの美味しさを損なってはならないという使命感を感じさせ、料理人の技と心配りに触れるたび、私たちは日本文化を体で実感し、日本人で良かったと思う。もちろん中華料理を食べて中国文化の素晴らしさを堪能したり、イタリアンやフランス料理を食べてそれぞれの文化を堪能する。日本の食文化は素材にこだわり、それが多様化を生み、産地間競争や市場間競争、料理店の競争が絶えず新しい食材と料理を生み出す力になっている。この文化としての食は零細な生産者や小売業者が十二分に活躍できる世界である。文化としての食がファーストフードと異なるところで、日本はグローバリゼーションとともにファーストフード化しながらも、ファーストフードとスローフード、さらにその中間にある手作りお惣菜など、文化という切り口から生産流通を整理していくというアイディアが必要ではないかと思う。

花は食と同様、文化に根ざしたもの。花の消費は文化消費と言ってもいい。そうなると文化に根ざした小気味良い差異が価値につながり、この小さな差が値段に反映される。F1種などに代表される作りやすく良いものを安く生産供給できる体制、これが本流であるということは分かる。しかし金を一つの物差しとし、安くてよいものを尊ぶグローバル社会であっても、日本はこの小さなこだわりをとても大切にして、マーケットを作ってきた。ダイバシティーは生物の多様性のみを言うのではない。日本文化の食や日本の花飾りでは、素材の質にこだわり、生産販売する。こだわる生産者と小売店、そしてその素材価値を正しくジャッジする卸売市場の存在がどうしても一定数以上必要で、この人たちが日本文化を支えている。

投稿者 磯村信夫 : 2009年11月23日 00:00

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