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2015年10月26日

協同組合精神の大切さ

 今週末まで開催されるイタリア・ミラノの国際博覧会から帰ってきた人に話を聞くと、大変賑わっているらしい。特に日本館は人気で、日本人が行っても面白いが、地元のイタリア人も5時間以上並んで待つほどの人気だそうだ。食の生産から料理まで全てを「食文化」として紹介しており、展示では敢えて謳っていないそうだが、日本の農協が果たしてきた役割が大きいと農業社会を知るその人は言っていた。

 TPP問題や農協改革等があり、臨時国会は12月まで開催されない見通しだという。その中で、私が産業界の人と話していてどうしても理解不足だと思われるのが、今まで農協が果たしてきた貢献に対する評価である。日本農業新聞日曜版を見ると、三橋貴明氏の『亡国の農協改革』が今最も読まれている書籍の1位になっているが、今この本を日本の産業人に読んでもらうことは、大変タイムリーで意義があることだと思う。私は、最近文庫本になった古川薫氏の『志士の風雪』に出てくる、農業協同組合を作り上げていった品川弥二郎に感銘を受けた。飢えを凌ぐ、寒さを凌ぐ、夜露を凌ぐ、そして、美味しいものを食べられるようになる、お洒落が出来る、良い所に住めるようになる。こういう風に国の発展を望む国民の声があり、為政者は腐心する。私が品川弥二郎や新渡戸稲造に心を惹かれたのは、全農岩手のとある人に接していて、まさに品川弥二郎精神、新渡戸稲造精神を教えられたからである。品川弥二郎は吉田松陰が最も愛した弟子として、農学書である『農纂』を読むように言われた。松陰からは「農事を論ずれば、百姓の実際の生活にまで目を届かせなければいけん」と口癖のように言われていたとのことだ。また、弥二郎は二宮尊徳を尊敬し、報徳社を弥二郎がドイツ留学で学んだ近代的な協同組合に発展させる努力をしてきた。東京農業大学の創始者である榎本武揚や西郷従道などの上司と共に法律をつくり、協同組合を作り上げてきたのである。

 よく経済界からの批判で、何故農協は金融、保険と経済活動を一緒にするのかと言われるが、農村部における協同組合の最初は信用事業から始まった為である。これはドイツも日本も同様で、特に戦後の農地解放後、沢山の農協が出来て財務基盤は極端に弱かった。こういう事を考えると、農家の財務基盤だけでなく、農協の財務基盤も、まずは金融の機能が欠かせないとみるべきであろう。三橋貴明氏は農業を「国民農業」と「商業農業」の2種に分けている。日本は「国民農業」であり、営利を目的にするものではないとしている。現に、花農家の方とお付き合いをしていると、この人達は、この地にいて農業をすることが目的で生きている。作物は時代と共に変えても構わないと思っている。生活をして農業をしながら、地域社会を安全に保つ。その目的で生きているのだと強く感じさせられる。グローバリゼーションの中で、「商業農業」の国から様々な作物が輸入されるが、日本の農業の場合、決して甘えてはならないが、それぞれの農家が収支を合わせ、米や野菜を食べたり花を飾ったりしてくれる生活者にあまり利益をのせず買って頂き、日本国の平均的な生活をする。そのことが生産者の生きがいであると実感する。是非とも、ここを一般の方々に分かってもらいたい。

 歴史的に見て、封建制度を経た方が、民主主義がその国に定着しやすい。また、農地解放を経た方が、個としての自立と、努力が報われることによる平等の精神が定着しやすいように私は思う。日本は戦後、進駐軍の意向ではなく、日本人の意向で、マッカーサーの力を借りながらも農地解放を行った。国土の12.2%しかない農地を解放したので、ヨーロッパと比べても農地は小さい。しかも縦長の地形だから、同じ場所で一年中良いモノが作れるわけではない。そうなると、共同出荷というものがどうしても必要になる。この共同出荷体制の一つだけをとってみても、ドイツのライファイゼンが言う「一人は万人のために、万人は一人のために」の協同組合精神が分かる。私は立場上ではなく、農業社会を知る者として、農業関係者はTPPの取り組み、農業改革を、日本人が持つ共同精神の思想を以て取り組んで頂きたいと思う。また、農業者は協同組合精神を以て、決して甘えることなく、ケンカ腰ではない、輸入品とも棲み分ける生産性の高い農業を、地域の人達と一緒にやってもらいたいと思う。

投稿者 磯村信夫 : 2015年10月26日 16:44

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