« vol.111 北空知広域連様★カボチャをめぐる冒険 第2話 | トップ | vol.111 北空知広域連様★カボチャをめぐる冒険 第4話 »
2015年10月 7日
vol.111 北空知広域連様★カボチャをめぐる冒険 第3話
北空知広域連様のカボチャをめぐる冒険、第3話。(第2話はこちら)
今回は、「なぜ北空知のみなさまがカボチャを作っているのかからとカボチャ研究会発足の秘密までを紐解いていきたいと思います。なんと大田花きで最も有名な"あの人!"がウンチク探検隊vol.111にして初登場です!是非最後までご覧くださいませ。
最初にご紹介したいのは、北育ち元気村の組合長・石田隆広(いしだ・たかひろ)さん、身長184cm。なんだかどこかの俳優さんみたいですね。
"北育ち元気村"とは、北空知広域連様(農協)に出荷する花き生産者グループのことです。石田さんはそのグループの長(おさ)です。元気村のみなさまについて伺いました。
「北空知広域連の生産者さんは、99%が水田転作で花きを生産しているんだよ。花は他の農作物に比べて反収(1反あたりの収穫高)が良いんだよ。だからみなコメを生産しながらも、一方で花を生産するんだ」
なるほど、ここ深川は日本随一の米所ですからね。
石田さんの場合、全ての生産物のうち花きとカボチャはどのくらいですか?
「花きは6割から7割くらいかな、カボチャは全体の28分の1」
つまりカボチャは3.6%くらいですね。
わー、まるで「カボチャの宝石箱や~」
・・・ってどこかで聞いたような表現ですが、これだけ山積みあっても3.6%。
全体に占める割合は少ないように感じますが、結構力入れている感じ。ちょうど奥様がカボチャの選別中です。
へー、こちらでもこのようなサイズ測定治具を使っています。
メジャーを使う必要はありません。手作りっていうのがいいですね。しかし、実際には奥様は熟練の技で、これをイチイチ使わなくても、もうサイズもわかってしまうのですが。
サイズのほかにはどのようなことをチェックするのでしょうか。
「腐れをみるのよ。」と奥様。
「こういうのは、腐れになる可能性があるの。」
ひとつひとつくるっと回して見ていくなんて、大変ですね。
「もう触ったらわかるのよ~。」
と選別専門の石田さんの奥様。見なくても見えているってことですね。ここで小さい腐れでも、流通過程でこんなふうに徐々に大きくなってします。
石田さんがギュッと親指で押してみると・・・
「ほれ、汁が出てきた!」
これが生花店さんや生活者のみなさまのところで発生してはいけないからこそ、出荷前に念入り検品するわけです。こういうのは、ハロウィンまで持たない可能性がありますので。
実はこういうの、一見わからないんですよ。でも奥様は、一つ一つ手に取り、何千個と検品しているので、チョット触ればわかるのです。
と言っている間に、カボチャを一つ放り出した奥様。今のは何がダメだったんですか?
「私にはわからない」と石田さん。
奥様は「このカボチャは腐る"予感"がする」
その予感の元は、針の穴サイズの点ですよ。腐りそうなポイントを見つけて、すかさず預言とともにカボチャを放り出す。もうここまで来たら、預言者です。
でも、石田さんはなぜカボチャを作っていらっしゃるのですか?
「だって面白いからさ!楽しいじゃん、カボチャを出荷するのって。」
どのあたりがそのように思わせるのでしょう?
「そもそも15-20年前に作り始めたときは、ハロウィンは日本に定着していなかったわけよ。
だけど今の浸透ぶりをみたらカボチャを作っていてもやりがいがあるでしょ。つまり、新しい文化の創生に大きく寄与しているっていう実感があるんだよ。」
北空知の地域のご自宅では、ハロウィンの季節ともなると、どこでも玄関に大きなカボチャを飾ります。
こんな感じで↓
素敵なおうちに黄金色に染まった稲穂、秋の豊作を象徴するかのように置かれたカボチャが北海道の大地に映えますね。そこで生活される人々の幸せを物語っている光景のようにも見えます。
「そうでしょ。こうやって町全体が盛り上がるんだよ。商店街も郊外もどこでも1か月ずっとカボチャを飾るんだ。
文化になったってことだよね。」
なぜカボチャに着目されたのですか?
「今から13年前の2002年11月、農協の研修でシカゴに出向いたんだ。
ハロウィンを過ぎてもなお、大小のカボチャが街中にごろごろと装飾されているのを見て驚いたよ。街が明るく、人々が楽しそうだったことが忘れられない。
ハロウィンの仕掛け人の一人として、いつかその文化が日本に定着したら、日本中の人々が楽しくなるに違いないと確信したよ」
それ以来、石田さんは「日本中、ハッピー・ハロウィン!!」を目指して、コツコツとカボチャ生産に励んできたのです。
そんな石田さん曰く、
「カボチャ生産は"楽しい"が基本。作っている人が楽しくなかったら楽しさを生活者のみなさまにお届けすることはできないから。」
しかし生活者のみなさまに楽しんでいただくためには、ここで石田さんがしっかり選別。
ご主人とお話しさせていただいてる間に黙々と選別を進めます。真剣に楽しむ。
私たちには楽しんでいると言いながらも、生産者さんのこの地道な取り組みがあるからこそ、私たちがハロウィンを楽しめているというわけですね。
もうおひと方、北空知のカボチャ生産を牽引してきたキーパーソンをご紹介いたしましょう。
北空知広域連の「カボチャ研究会」一代目会長の山本時雄(やまもと・ときお)さん。
花きとしてのカボチャ生産の発足当初から歴史と生産の全てを知り尽くす方。北海道でもカボチャ生産の先生と呼ばれています。
【カボチャ大産地の成り立ち】
そもそもなぜ、北海道のみなさんがハロウィン用のカボチャを作ろうと思われたのですか?
「研修で東京に行ったときに、大田花きの磯村社長に"カボチャを作ってくれないか"と言われてね。
"外国ではハロウィンの盛り上がりがスゴイ。恐らく10年後、もしくは10年経たないうちに、日本でも盛り上がりを見せるだろうから、それに向けてカボチャを植えてみないか"という話があったんだ。」
え?ホントですか?本当に大田花きの社長磯村からの話がきっかけだったのですか?
むむむ・・・ということで、大田花き社長の磯村に聞いてみました。(もしかして、当コーナー初登場??)
「本当です。」
あ、やはり本当だったのですね。なぜカボチャをお願いしたのですか?
「米国文化の流入と日本の人口動態を考えてのことだよ。
今から18-19年くらい前といえば、米国で仮装パーティとして盛り上がり始めたハロウィンが、日本の生活者にもさまざまな形で届くようになり、徐々にハロウィンについての認知が高まっていったころ。
ちょうど東京ディズニーランドでもハロウィンイベントはこのころからスタートしたでしょ。それで国民の誰もが知るイベントとなった。
一方、人口動態を考えれば、団塊ジュニアが大学を卒業して、社会に出てお金を稼ぐようになった頃。彼らが消費のボリュームゾーンとして経済に影響を与え始める。米国の新しいもの、楽しいものを積極的に取り入れる彼らが、将来家族を持ったり、子供が生まれたりする頃になれば、さらに需要のパイが拡大する。またその子供たちが通う幼稚園でもカボチャを使うようになるだろうしね。
だから花き業界としてはきちんとカボチャを供給できるようになっておかないといけないと考えたんだ。
折しも、七五三や秋の菊花展なども、ちょうど盛り上がりに欠けるようになってきて、新しい文化が入りやすい土壌があった。メインの要素に加え、これらの周辺要素も合わせて考えると、ハロウィンは日本人にとって楽しいイベントとして受け入れられるようになるだろうと考えたんだよ」
このような社長磯村の見通しもあり、大田花きでは1997年から「カボチャ大市」を開催するようになりました。1997年といえば、ちょうど東京ディズニーランドがハロウィンイベントを始めた年でもあります。いずれも今年で19回目。
でも山本さん、作ってほしいと言われて、みなさん、すぐ作ろうと思われましたのでしょうか。
「すんなり提案を受け入れることができたよ。
もともと生食用を作っていたこともあるしね。」
北海道では開拓時代からカボチャは主食として盛んに生産されてきました。収穫しておけばある程度保存も利きます。北海道の厳しい冬を越すのに、栄養価の高いカボチャは大変価値のある農産物なのです。ですから、北海道の皆様はカボチャを生産していらっしゃる方が多いのです。
「生食用をたくさん作っていたところに、メキシコやニュージーランドなどからも輸入カボチャが増えてきたでしょ。
国産の価格が下がって私たち生産者は、新しい道を探していたんだよ。そこに磯村社長からその話・・・。
北海道に戻ってきて、部会のみんなにカボチャ生産に興味があるかって聞いてみたら、"アルッ!"ていうんだ。
おまけに、既におもちゃカボチャを作っている人がいるよって話になってね。」
その方ががカボチャをめぐる冒険第1-2話の吉澤さんだったというわけです。
そこで、山本さんと吉澤さんが初めて鑑賞用のカボチャ栽培をされる方をリードして、何人か有志を集めてカボチャ生産に踏み切りました。
当初は有志6軒ほどでスタート。
「たった6軒程度だったけど、いきなり900万くらい売ってね(爆)!
ハロウィン前の短期間のうちに。」
初年度でいきなりスゴイですね。
「ワオッ!てことで面白くなっちゃったのよ。これがきっかけでどんどん生産を増やしていってね」
現在、北空知広域連様でカボチャ生産に携わる農家さんは67軒。今は、花きのカボチャでは全国一の生産量を誇るまでになりました。
スタート時の10倍以上に増えました。花きばかりでなく、あらゆる農産物の中でも、これほど伸びている品目をリストアップするのはなかなか難しいことでしょう。
「今、伸びている品目ってあまりないでしょ。そんな中で、足らないと言われる品目・商品を作るというのは、生産者としては最高の悦びだよ。将来があるわけだから。」
必要とされている実感はやりがいに直結しますね。
【近年の需要変化】
最近の需要の変化は感じられますか。
「最近の変化と言えば、ハロウィン文化の地域への広がりだね。
東京ばかりではなく関西方面にも。USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のハリポタ効果が大きいかも。西と東が始めたら、全国に広がるのはもう時間の問題だろうと思うんだけど。
ここできちんと花きとしてのカボチャを供給できないと、工業製品などのカボチャに流れて行ってしまい、ハロウィンに生のカボチャという文化が定着していかない。普及が一気に広がっている今こそが重要。きちんと納品していくことがウチの産地の義務だと思っているよ」
吉澤さんにも同じ質問を伺ってみました。
「ここ10年で変わってきたことは、花屋さんと量販店の2パターンの2パターンの需要が生まれたということだね。
産地としてはその両方の需要に応えていくというのが、難しいながらも重要なこと。
量販店からしたら、店頭での手間が省けるよう装飾性のあるパッケージに入っていることが重要だし、定番商品で数をしっかり揃えることが何より先決。従来からあるプッチーニ、フルーツミックスなど、クオリティを落とさず量的に供給していく。
一方で生花店さんは、一つ一つを見たときに面白いもの、ユニークで珍しいものであることが重要。規格の統一性よりも希少性が評価される。
どちらが先に広まったかといえば、それは小売店。
ここからすそ野が広まって量販店でも扱うようになったわけだけど、後から拡大した量販店需要にも対応していったのが、ハロウィンカボチャ拡散のコツだったと言えるかもしれないね。」
6軒で誕生したカボチャの産地も、変化する需要を理解して、適切に対応していったのが、67軒まで成長した秘訣というわけですね。北空知広域連さまのカボチャ生産地誕生と成長秘話でした。
北空知のカボチャ産地形成に大きく寄与された方々。
(左から、相変わらずカボチャ色のタオルがトレードマークの北空知広域連・佐藤さん、生産者の吉澤ご夫婦、山本さん)